『土方巽・中西夏之メモリアル猿橋倉庫』について

猿橋倉庫は大月市にあります。元は中西夏之アトリエでした。その後、中西作品と土方巽の舞踏資料の収蔵庫となっていました。この建物とスペースが2020年に「土方巽・中西夏之メモリアル猿橋倉庫」として再出発することになりました。 地域における芸術・文化活動の拠点として、また身体表現や絵画制作など創作活動と発表の場(スタジオ+アトリエ)としての活用をはかることとなったのです。

『中西夏之のアトリエ』

中西夏之はここを制作の拠点として、生涯で最も旺盛な制作活動を行い、数々の作品を発表し世に問いかけてきました。「中西夏之展」(愛知県美術館、1995)、「着陸と着水展」(神奈川県立近代美術館、1995)、「中西夏之展」(東京都現代美術館、1997)、「中西夏之展」(愛知県美術館、2002〜2003)「二箇所 中西夏之展」(東京藝術大学大学美術館、2003)、「カルテット 着陸と着水X中西夏之展」(川村記念美術館、2004年)など、日本を代表する美術館において開催された個展における新作はすべて、ここ旧中西夏之アトリエで制作されました。 アトリエとなった建物は、元は土地の織機工場で、広さは幅15メートル(8間)、奥行20(11間)メートルばかりで木造の架構から成っています。中西は工場であったこの建物の構造を生かし、天井や床を改修し、ホリゾントを設置し、中二階を設けてアトリエとしたのです。

『舞踏と美術』

中西夏之は2006年に伊豆に新たにアトリエを建設したことで、このアトリエは大きな油彩画の作品やデッサンなど、多くの作品の保管庫としての役割を果たすことになりました。それに合わせて、土方巽記念資料館(アスベスト館)が所蔵する土方巽の展示作品・資料の保管庫としての役割を担うことになりました。 こうして、中西夏之のアトリエに中西の作品と土方巽の舞踏資料が収蔵、保存されることになったのですが、単に二人のアーティストの創造の成果が併置されていたというのではありません。 1965(昭和40)年に行われた土方巽の舞踏公演「バラ色ダンス」以来、中西は土方の求めに応じて、次々と土方の舞踏公演の舞台美術を手掛けることとなりました。このコラボレーションは、戦後日本の芸術が代表する二人が互いに影響を与え合う貴重な出来事でした。 1967年の高井富子舞踏公演「形而情学」では、中西は土方の背中に「解剖図」を描き、土方はこの「解剖図」を背負って中西が制作した移動幕(中西の背面のプリント)の前で踊りました。 さらに1968年の「土方巽と日本人〜肉体の叛乱」での土方と中西のコラボレーションは日本の芸術史に残る成果をあげました。その舞台で観客に強い印象を与えた舞台美術「真鍮板」も、現在はこの倉庫に保管されています。 中西はこう述べています「だから、大事なのよ、土方さんとの仕事は。(中略)そういう一本のマッチ棒のようなものでも、共同で力合わせて担ごうと思ってる人間、今いないよ」。

『戦後美術を担った芸術家』

中西夏之は、1960年代の前衛美術の活動を超えて、1970年代以降は独自の油彩画を次々と発表し、同時に東京藝術大学教授として美術教育にも力を注ぎました。 「実は二、三年前から油彩画を殆ど10年振りに再開していたのである。オレンジ色と緑色を基本に一から始めたのである。人は反動ととるかも知れない。ハイレッドセンターの一員であったものが古い形式の油絵とは、私自身にもそのところは説明がつかない。肉体者である土方巽との交流から、最も素朴で最も知的な作業、絵に想いいたるようになっていた」。 一方、土方巽もたえず自らの舞踏を革新しつつ、1970年代には舞踏ブームを牽引し、さらに1980年代以降には舞踏は海外で高く評価され、21世紀から今日に至るまで世界のBUTOHとして広まっています。 舞踏家の土方巽と画家の中西夏之は、ダンスと美術とジャンルは異なりますが、戦後日本の芸術、とくに前衛芸術の世界を代表するアーティストであり、二人を欠いては戦後の現代美術を語ることはできません。 2006年以来、中西夏之アトリエは、中西夏之作品と土方巽舞踏資料を保管する施設として、NPO法人舞踏創造資源が管理してきました。しかし、2016年に中西夏之の死去後、中西作品はすべて搬出され、未使用のキャンバス、イーゼル、絵皿などが残されましたが、オイル・オン・キャンバスならぬオイル・オン・フロアだけが、この倉庫が中西夏之アトリエであったことを証してきました。こうして、土方巽の舞踏資料の保管庫としての役割を担うこととなりました。 この短い歴史は、ここが土方巽と中西夏之という日本の戦後芸術を代表する二人の芸術家の創造の痕跡が強く残されている稀有な場、貴重な空間ということを示しています。

『地域の創作の場に』

ところが、2019年には、東京藝術大学のグループが「ホリゾントとタブローの実践考古学」と名付けて、この倉庫を使ってパフォーマンスと映像・展示のイベントを行い、あわせて近辺の河原を活用したワークショップを行いました。そのことで、この施設が保管庫としての役割だけではなく、アーティストが地域の自然と土地の記憶を学びつつ、作品制作の意味を問いかける場となったのです。 さらに、リサーチから始まり、ワークショップ、作品制作、作品発表、シンポジウムの一連のプロジェクトは、ここが中西夏之の制作の場であったこと、さらに土方巽と中西夏之や細江英公ら美術家、写真家とのコラボレーションの成果の収蔵庫に由来することを証してくれました。いずれにしても、旧中西夏之アトリエを使った思考と創作の場、さらに作品発表の場として魅力的な空間であることをあらためて可視化してくれたのです。 さらに続いて、この空間で創作活動を行いたいというダンサーやアーティストの要望が寄せられました。ところで、2020年は新型コロナウイルスの広がりで、ほとんどの公演活動や展示活動が実施不可能となりました。その後も、アーティストの手足をもぐような事態は継続し、予断を許さない事態が続いたのです。 とくに都市においては、まだまだ厳しい条件のもとで限定された活動しか許されず、都市を離れて地域での活動を模索することは、創作にあっては有効な手立てとなりました。都市を離れてやや不便な環境ではありますが、アーティストが創造活動を維持、推進し、コロナ後にも絶えることなく創作を継続していくには、こういった地域の小さな空間が重要な役割を果たすこととなると思われました。そのためにこそ、この「土方巽資料庫/旧中西夏之アトリエ」を創作のために再活用することは望ましいこととなったのです。

倉庫の改修・環境整備とメモリアル芸術祭

しかしながら、この施設も建設から時間が経ち建築物としては傷みがでてきていました。とくに床板の損傷は著しく、そのままでは建物としての保存もままならず、継続して利用するには改修する必要がありました。そこで、本施設を管理・運営するNPO法人舞踏創造資源としては、この資料庫/旧アトリエの施設の改修を行うことを決断しました。さらに創作活動のための諸設備を整備し、創作する人とそれを享受する人を迎える空間と環境を確保し、芸術の創作活動やワークショップ、作品発表の場とする構想が生まれたのです。リストレーションとしての施設整備とクリエーションのための環境整備を行うプロジェクトです。 まず、中西夏之のoil on floorである絵の具が飛び散った床板を救出し保存することから始め、床の改修を進め、その後徐々に、創作活動を可能にする環境の整備を本格化しつつあります。 そして、改修の進捗とともに、2020年10月には、ダンサーや映像作家たちがこの倉庫を使ってのイベントを希望されたことから、倉庫の整備を経て、土方巽と中西夏之メモリアルとしての公開イベント「ホワイトホリゾント芸術祭」を開催することに至りました。

アクセス

住所: 山梨県大月市七保町下和田673-1

鉄道: JR中央線 猿橋駅 下車徒歩15分

高速バス: 中央道猿橋バス停 下車徒歩3分

車: 中央高速道大月インターより15分